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中川多理 Tari Nakagawa 【球体関節人形&人形写真】

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夜想・髑髏展出展作品①


開催中の夜想・髑髏展出展作品の一部を御紹介いたします。




夜想・髑髏展出展作品
「少女と髑髏-Ⅰ」
石塑・油彩仕上げ 2016年作

掌に髑髏を携えた少女のシリーズ、いちばんの子です。
片目は境界の世界に半分足をかけている様な赤眼のオッドアイ。ふっくりした指の表情がお気に入り。


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夜想・髑髏展出展作品
「兎の胞衣を纏う子-Ⅶ(髑髏.ver)」
泥漿粘土・鹿革・珈琲仕上げ 2016年作

シリーズで引き続き作っています兎の様な人の様な間の、主に少年です。
髑髏展バージョンということで、眼窩をかなり落窪ませ、髑髏の表情を引写しました。

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夜想・髑髏展出展作品
「掌ーたなごころ」
石塑製の手×2、髑髏・骨のパーツ、コサージュによる 2016年作

髑髏展フライヤーのビジュアルカットに使用しました。
作品のイメージを手遊びしながら探りつつ…。
会場ではアンティークのガラスケースとセットになっていますが、それぞれ取り出して遊べます。

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☆個別の作品へのお問い合わせは、パラボリカ・ビス ギャラリーまで直接お寄せください。


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「物語の中の少女Ⅱ」-死の泉によせて



最後に皆川博子さんの「死の泉」から、双子の少女レナとアリツェを。

(実は当初は制作を予定していなかったのですが、「トマト・ゲーム」にて表紙に起用して頂いたのをきっかけに個人的に皆川博子祭りが心の中で開催されており、制作の合間にこの「死の泉」を読み始めたところ止まらなくなってしまい、虜となったまま思わず作り始めておりました。

快く許可をくださった皆川先生、連絡を取ってくださった今野さん、ありがとうございました!御二人が旧知の方で良かった…!)


+


「死の泉」-舞台は第二次大戦下のドイツ、ナチスの政策で設立されたレーベンス・ボルン(生命の泉)、カストラートの少年、古城に眠る名画、人体実験、…蠱惑的なモチーフと魅力溢れる登場人物達が織りなす目眩く壮大な悲劇と入れ子状の謎…

ボリュームはありますが一気に読めます。
まだ手にしていない方は是非。

(これ以下はお話の内容に抵触します。)




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「アリツェの血は熱いから 。二人のからだは 、腰から下が一つになっている 。二本の足と一つの腰から 、二人の胴が生えている 。」


魅惑的な登場人物たちの中から、人工的に作られた双子のシャムの少女・レナとアリツェを制作しました。

謎が謎を呼ぶ入れ子状の複雑な物語に、きっと色んな解釈があると思いますが、結合されて衰弱し肌も髪の色も褪せてきたアリツェと、それでも弱々しい声で語りかけるレナ…といった姉妹のやり取りを想像しながら作りました。アリツェの肌はワントーンくすませて、髪の色も白茶けた金髪にしています。

干からびて小さく、まるで人形の様な状態で発見されるシーンがあってそこもぐっとくるのですが…「死の泉」内の『死の泉』のラストシーンを胸に、あえて生きて言葉を交わしている二人を作りました。



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レナの生存の為にアリツェを植え付ける非道な実験の犠牲者ということで、接ぎ木のイメージがあったので、二人の接合手術部分は見目にわかりやすく縫合痕を残しました。



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(向かって左がレナ、右の眠り目の子がアリツェ)

先に成長させられたレナの方が身体も少し育っています。アリツェは12歳という年相応に。
首筋と手首に最上級のアーリア人の証である刻印を打ちました。

悲しい実験の被害者だけれども、それゆえに非現実的に美しい異形の形が際立つ様、地下坑道内で崩れ落ちた柱がまるで磔刑に見えるかのような形に組んで頂きました。

物語を読みながら幻視した二人の姿を具現化できたでしょうか…。


レナとアリツェは物語の中心人物では無く出番もそれ程多くはないのですが、悲劇の象徴としての姿形と存在感に心奪われてしまったのでした。少女性という面では、記憶を失い夢の中に生きているマルガレーテも、その象徴の様な魅力に溢れていたと思います。

今回は少女を制作しましたが、物語の軸となる少年達もいつか手がけてみたいと夢想します。


++


「死の泉」に寄せて二度のトークショウが開催され、吉田先生とは皆川先生との御交流や少女人形と文学作品の関わりについて、東雅夫さんには皆川先生の決して順風満帆ではなかった来歴や、作品の魅力、御本人の優しく可愛らしいお人柄に触れるエピソードなどの数々をお伺いしました。

皆川先生からは御手紙を頂戴し、人形達への御感想と暖かいお言葉をくださり涙。。東さんに御教授頂いた皆川作品巡りのリストを手に、また深く皆川魔界に沈みこんで行きたいと思いました。



++



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私達が書物を閉じる時、そして時を経てまた書物を開く時、その中に閉じ込められたまま物語の中を生きる少女達はいつでも私達を変わらない姿で出迎えてくれる。

ループする物語の中を永遠に生きる少女達、それは人形の在り方に似ている。その側を私達は寄り添い歩くだけ。いつの間にかすり抜け私達は老いて死んで行く。だからこそ、物語の中の少女も人形も至高の存在であり得るのかもしれない、と…この物語の少女達と寄り添う展示会を通してそんなことを思いました。







(「物語の中の少女」「物語の中の少女Ⅱ」参考文献・底本リスト)

◇死の泉 (ハヤカワ文庫JA) 皆川 博子
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〈トールサイズ・新装版〉
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/20662.html

http://www.amazon.co.jp/dp/4150306621/ref=cm_sw_r_tw_dp_IBdrwb1W30J38


◇海の百合 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ
http://www.amazon.co.jp/dp/4309202012/ref=cm_sw_r_tw_dp_xLdrwb0075WBX


◇カファルド―小説 ボナ・ド・マンディアルグ
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J94ZNU/ref=cm_sw_r_tw_dp_oMdrwb1D1M8X3


◇氷 (ちくま文庫) 筑摩書房 アンナ・カヴァン
http://www.amazon.co.jp/dp/4480432507/ref=cm_sw_r_tw_awdo_Y-grwb1VZQN7J


◇黒い美術館―マンディアルグ短篇集 白水社
http://www.amazon.co.jp/dp/4560045305/ref=cm_sw_r_tw_awdo_rehrwb0HW42CV

※「仔羊の血」収録

「物語の中の少女Ⅱ」-カファルドによせて


もう一作制作した「カファルド」は、
マンディアルグの最愛の伴侶でありシュルレアリストでもあるボナの最初にして最後の文学作品です。

画家としての、シュルレアリストとしてのボナ独特の視線に誘導され、時間と空間をダイナミックに移動する、読みながらその浮遊感や疾走感に酩酊する様な感覚に陥り、謎めいた物語に惹き込まれてしまう…短い物語です。

人狼(ルー・ガルー)、夢遊病の少女、メキシコの墓地、満月の海、…シュールレアリスティックで視覚的で魅力的なモチーフがちりばめられていて、いつか人形化してみたいなと思っていた大好きな作品だったので、今回手がけてみました。

ボナの自伝的要素を多分に含んでいるので、主人公は少女というよりは成人女性であると思います。でも、シュルレアリストの女性達は皆、どこかに少女性を強く宿したまま生きている。少女の精神のままに身を投げてしまったウニカ・チュルンや、少女のまま生き永らえ魔女的資質を獲得したキャリントンやバロの様に。時に激情的で不安定なボナの気質は少女そのものであり、全編が少女的気分に満ちています。



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「カファルド」会場風景。
獣らしい躍動感・浮遊感に満ちた原作の雰囲気が出たかな?と。

人狼(ルー・ガルー)と人狼に成りかけている少女をイメージして制作しました。
少女の色味は月光色に。



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長大な移動によってほとんど露わになってしまう裸体に巻き付くシーツを纏わせ、少女の方は小さな牙と耳が生えかけています。
二匹にはアンティークのガラスボタンを片目ずつに分け合い、人でないものに変わりゆく異形の雰囲気を共有させました。


+


図らずも、「海の百合」も月明かりの元での儀式の物語、この「カファルド」も月を意味する人狼譚、もう一作の「死の泉」は塩岩抗の中、懐中電灯の灯りで少女達が発見されるシーンがあり、会場自体を薄暗く月明かりの下の様な照度に設定して頂きました。


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「物語の中の少女Ⅱ」-海の百合によせて


「物語の中の少女Ⅱ」展、撮影時のことを思い出しながら画像を整理しています。
今まで使っていた現像ソフトが使えなくなってしまったので、新しい海外製のソフトを導入。
四苦八苦していましたが、ようやく感覚的に使える様になりました。

初夏の頃に開催された「物語の中の少女」展、
その発展形として第二回目が今秋に開催されました。

いつもテーマの選択は自由なのだけど、「たまには何かくださいな」とお願いしたところ
「『海の百合』ではどうですか」とお題を頂きました。

++

マンディアルグは少女凌辱の極みでどの作品もたいへん好みであり、前回も『黒い美術館』の中から「仔羊の血」を選んだりしていたのですが、「海の百合」はその点少し異色の物語で、初読の印象で主人公のヴァニーナにあまり愛着が持てずにいたので、出来たらやりますねぐらいの感じで留め置いていたのでした。



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「海の百合」-サルジニア島にヴァカンス中の少女ヴァニーナが、一人の名も知らない青年を見定めひと夏の破瓜の儀式を果たす物語。終始儀式の遂行がヴァニーナによってコントロールされていく。

マンディアルグ作の中でこのヴァニーナは何処か異質で、能動的に行動的に彼女は予定した儀式に彼を導き遂行し完了する。





同行している友人ジュリエットの扱いや、青年に見せる背伸びした姿態、でも子供っぽさも残る態度に、少女の持つ厭な部分を見せられる様な、どこか女子に対する同族嫌悪的な印象を持っていました。


でも、作品として仕上げる事を想定して読み返した折に、やはりマンディアルグの筆致は美しく惹きこまれていきます。

終盤でヴァニーナの両親が虐殺されたエピソードを彼女自身が告白するシーンがあり、彼女の痛みが、血に塗れた母親と彼女との感応によって語られていくのですが

主導権を握り、全てをコントロールするかにみえた彼女が、賊に結えられ犯され殺された母親の姿と自分をなぞらえるかのような姿であり、此れこそが必要な精神的外傷への治療であった事、唐突に思えた彼女の行動が必然の行為であると改めて了解した時に、初めて彼女を愛らしいなと思えたのでした。



砂地に塗れて月光に晒され色を失った黒い絹の儀礼用の長いスカートと袖無しのブラウス…
いくつか印象的な場面はありますが、この黒い絹のドレスを纏い青年と相対したヴァニーナを作ろうと思いました。



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(海百合のイメージ、処女性のイメージから何となく白を想起していて、黒というのが唐突に思えていたのですが、過去への冥魂、弔いの黒という意味合いもあったのかな、と想像しながら制作しました。絹で黒で…たいへんに縫いづらかったけど、縫い物スキルが上がった気がします。)



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(後ろ手に結えられる赤いネクタイも大事なモチーフとして、彼女に纏わせました。)



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砂地を再現し、月明かりが差し込んだように顔にかかる光が素晴らしい舞台効果でした。

他に日焼けした水着跡とか下腹部の淡く柔らかい繁みとか…色々意匠を凝らしてありました。
展示では見えませんでしたが、誰も知らない見えない所にこっそり心血を注ぐのは好きです。




++



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「海の百合」は制作を通してやっとヴァニーナに寄り添い近づけた気がします。

読書は好きだけれども、人形制作を始めてからその時間は格段に減り、まだ手にしていない読みたい本も膨大で、普段同じお話を読み返してその印象が初読と変わる様な事はあまりないので、制作を通してゆえの事だなあ、と面白く新しい読書体験でした。





「仔羊の血」がフィ二に捧げられたように、これは後の恋人ボナに捧げた物語。能動的で行動的な女性への讃美が感じられる美しい物語です。是非一読を。


A.P.ド.マンディアルグ「仔羊の血」によせて


白く乾いたカヴァンの少女とは対照的に。
もう一作は、汚辱と血に塗れた物語、マンディアルグの「仔羊の血」(「黒い美術館」収録)を選びました。


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思えば。少女の頃の私の読書は、これから自分に降りかかるであろうあらゆる災厄、想像し得るあらゆるパターンの悲劇を収得、反復、学習し、現実を生き延びる為のシミュレーションとレッスンの様相を呈していました。

しかし、世界はいとも簡単に想像を凌駕します。想像し得ない現実がもたらす出来事に、いつしか少女の頃のそういった書物による儀式を手放していきました。

マンディアルグを手にすると、忘れ去っていたその頃の習慣を思い出させてくれます。
幻想の中の少女たちが痛々しく恐ろしく凄惨な目にあえばあう程に、どれだけの輝きと艶やかさ美しさをもって私を慰めてくれたかを。



マンディアルグの少女たちは皆、被虐的でこれでもかと酷い目に合わされ、あまつ自ら命を絶ってしまったり。

御多聞に洩れず、「仔羊の血」のマルスリーヌ・カインも(※ここから完全にお話の肝を喋りますが)

愛する飼い兎のスウシーを、両親に「仔羊のシチュー」と偽って食べさせられ、自ら出向いたとはいえ黒人の屠殺屋ペトリュスに乱暴され。

しかし、ペトリュスが自ら首を括るのを見届け、とって返して両親を殺害。「あたしは血まみれの仔羊よ」と孤児院の尼たちに向かって云うマルスリーヌは中々にしたたかで、きっとスウシーのこともペトリュスのことも、一過性の通過儀礼として逞しく生きていくのでしょう。




展示では、(作中にはありませんが)兎の毛皮を纏ったマルスリーヌ・カインと、彼女が可愛がっていた橙黄色の雄兎スウシーと。
そこから派生して、マルスリーヌの毛皮の端切れで作った「eat me」という内臓入りのピンクの兎を連れて行きました。


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(スウシーと戯れ、その感覚に身をゆだね、「暖かい毛皮の袋に彼女をすっぽり包み込むように思われた」という描写からイメージしました。)



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(「スウシー」:内骨格を仕込んであり、肋骨の手触りからのお腹の柔らかさがチャームポイントです。)



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(「eat me」:何だかとても眼差しが生き生きとしている、と好評でした。
 たしかにスウシーと比べると野性的。お腹のポケットから内臓を取り出せます。)






以前に少年と兎について制作した時は、兎の多産性や生命力、小動物の躍動感と骨っぽさを少年の肢体と重ね合わせていたのですが。対して少女と兎には、なぜかずっと血に塗れたイメージが付き纏っています。

マンディアルグは文章の美しさ、エロティックさが際立っており、何度読み返しても一つ一つの描写、レトリックに改めてうっとりとするのでした。


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