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中川多理 Tari Nakagawa 【球体関節人形&人形写真】

A.P.ド.マンディアルグ「仔羊の血」によせて


白く乾いたカヴァンの少女とは対照的に。
もう一作は、汚辱と血に塗れた物語、マンディアルグの「仔羊の血」(「黒い美術館」収録)を選びました。


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思えば。少女の頃の私の読書は、これから自分に降りかかるであろうあらゆる災厄、想像し得るあらゆるパターンの悲劇を収得、反復、学習し、現実を生き延びる為のシミュレーションとレッスンの様相を呈していました。

しかし、世界はいとも簡単に想像を凌駕します。想像し得ない現実がもたらす出来事に、いつしか少女の頃のそういった書物による儀式を手放していきました。

マンディアルグを手にすると、忘れ去っていたその頃の習慣を思い出させてくれます。
幻想の中の少女たちが痛々しく恐ろしく凄惨な目にあえばあう程に、どれだけの輝きと艶やかさ美しさをもって私を慰めてくれたかを。



マンディアルグの少女たちは皆、被虐的でこれでもかと酷い目に合わされ、あまつ自ら命を絶ってしまったり。

御多聞に洩れず、「仔羊の血」のマルスリーヌ・カインも(※ここから完全にお話の肝を喋りますが)

愛する飼い兎のスウシーを、両親に「仔羊のシチュー」と偽って食べさせられ、自ら出向いたとはいえ黒人の屠殺屋ペトリュスに乱暴され。

しかし、ペトリュスが自ら首を括るのを見届け、とって返して両親を殺害。「あたしは血まみれの仔羊よ」と孤児院の尼たちに向かって云うマルスリーヌは中々にしたたかで、きっとスウシーのこともペトリュスのことも、一過性の通過儀礼として逞しく生きていくのでしょう。




展示では、(作中にはありませんが)兎の毛皮を纏ったマルスリーヌ・カインと、彼女が可愛がっていた橙黄色の雄兎スウシーと。
そこから派生して、マルスリーヌの毛皮の端切れで作った「eat me」という内臓入りのピンクの兎を連れて行きました。


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(スウシーと戯れ、その感覚に身をゆだね、「暖かい毛皮の袋に彼女をすっぽり包み込むように思われた」という描写からイメージしました。)



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(「スウシー」:内骨格を仕込んであり、肋骨の手触りからのお腹の柔らかさがチャームポイントです。)



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(「eat me」:何だかとても眼差しが生き生きとしている、と好評でした。
 たしかにスウシーと比べると野性的。お腹のポケットから内臓を取り出せます。)






以前に少年と兎について制作した時は、兎の多産性や生命力、小動物の躍動感と骨っぽさを少年の肢体と重ね合わせていたのですが。対して少女と兎には、なぜかずっと血に塗れたイメージが付き纏っています。

マンディアルグは文章の美しさ、エロティックさが際立っており、何度読み返しても一つ一つの描写、レトリックに改めてうっとりとするのでした。


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